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FlyFishingをはじめたころ


 18歳で高校を卒業するまで生まれ故郷の燕三条で生活し、東京の大学に入学し卒業後外資系の商社で4年あまり働いて、再び故郷である燕三条に帰り同時に結婚した。
 東京での生活は多感な10代の後半から20代の中盤までの9年ほどで、その頃やっていたアウトドアスポーツは専ら会社の友人達とウインドサーフィンそして自転車だった。

 自分が住むところが世界で一番好きな土地である、と思えることは人生の最大の贅沢の一つだと思う。しかし、20代中盤に都市生活から一転地方在住の生活に変化した自分には到底そうは思えなかった。時間の流れが非常に遅い、退屈な土地であるとしか思えない時期がしばらく続いた。今から思えば自分に主体性がなかっただけの話しなのだが。

 そんな自分が、燕三条が世界で一番好きな土地の一つであると思えるようになったのは、尊敬できる良い人々がここには沢山いることが解りお付き合いが始まったこと、野遊びを楽しみながら生活するにはとても恵まれた土地であること、そして野遊び好きな自分がモノづくりをやっていくには理想的な環境であること、以上のようなことが実感でき納得して生活しはじめた後である。


 そんなころにFlyFishingをはじめた。FlyFishingにはずっと興味があり、いつかやってみたいな、と思っていたスポーツの一つだった。そこにもってきて生活の場が新潟県になり、燕三条から一番近い渓流は車で30分。しかも手つかずの自然が残る越後川内山塊から流れ出す綺麗な渓流が沢山あるのだ。自然の導きによって自然にFlyFishingをはじめることになったような気がする。

 当時は、FlyFishingというものを始めようとする人間にとって情報が決定的に不足している時代だった。私が幸運だったのは近くの長岡市にParrMarkというFlyFishingプロショップがあり若林聡という癖があるが優しい兄貴のような人物がいたこと、晶文社から出ている「フライフィッシング教書(シェリダン・アンダーソン、田渕義雄 共著)」というバイブル本を既に数年前に手に入れ読み込むことによって知識としては準備があったことの二つがあった。

 一番最初に買ったタックルはOrvisのロッド7-11とリールCFOだったが非常に高価なものだった。そのロッドもリールも使いすぎてガタガタになってしまうまで使い込んだがロッドは自分の好みに合わなくなってしまって人に譲り、リールは現在2個目のスプールとともにSnowPeakU.S.A.のガレージにオレゴン釣行用として常備されている。

 一番最初に行った渓は、阿賀野川支流早出川水系の杉川だったと記憶している。当時は今では信じられないくらい魚影が濃い(本来あたりまえの姿をした)渓流だった。自分で巻いたスタンダードパターンを結び釣り始めてまもなく、不細工なライトケヒルに愛しげなヤマメが水面を割ってバシャッとライズした。

 その時の驚きと興奮は今でもはっきりと思い出すことができるほど鮮烈なものだった。

 自分が巻いたフライに鱒がアタックしてくる、しかも水中から水面にライズして。あっけなく最初の魚を釣り上げてしまったから、さあ大変。翌日、会社に行き設計用のCADの画面に向かって図面を引いていると頭の中で10分に一回くらいヤマメがバッシャとライズしてしまう有様になってしまったのだ。中毒症状もしくは禁断症状である。
 その頃は天気さえ良ければ、まず朝に釣りに行き、そして夕まずめに間に合うように仕事を片づけて車を飛ばす毎日だった。半年くらいでウェイディングシューズがボロボロになって買い換えなくてはならないほどだった。

 今は、様々な過程を経て16年くらいのFlyFishing歴になり、当時のようなのめり込み方はしていないが、最も好きなアウトドアスポーツの一つであることには変わりはない。昨年は数えてみたら25日もの釣行が記録に残っていた。どうりで体調と気分が良い年だったわけだ(笑)

 みなさんもFlyFishingはじめませんか。一生の愉しみですぞ。  (完)

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