記憶装置
この前のコラムで次回は時間軸の話と書いたのにお祭りの話が先になってしまった。(笑)お祭りも関係あるのだが、今度は真面目に時間軸のお話である。
「地球」、「まち」、「いえ」そして「会社」などなど。これらのものは、みんな、記憶装置のようなものだと感じている。
*tohruの住む三条市は、金属加工産業の集積地として全国に知られている。このまちの中央には五十嵐川という暴れ川が流れ、毎年のように氾濫して水害で私達の先人達の生活をおびやかしてきた。そして、私達の先人達は飢饉という地獄の底から産業の火を熾した。「米が氾濫で採れないなら、和釘でも作ろう」と江戸から鍛冶を招いてまちに根付かせた。「自然の地理的要件の中で川は氾濫する。それは受け入れよう。しかし我々はメシを食べてここで生きていかねばならない。工業の火を灯そう。」というポジティブな底力があったのだろう。
*tohruは、そういう根元的な活力ある三条のまちで野遊び道具を創っていることに誇りを持っている。もちろん、その当時の先人達には会ったことはない。しかし、「まち」という「記憶し伝承する器」を通して私の精神のなかに記憶されている。現状を素直に受け入れ、その中で逞しく生きていくちから。現在の状況よりも何百倍も厳しい状況でも私達の先人達は生き、そして産業都市を残した。
「いえ」や「会社」。これもやはり記憶し伝承する器=記憶装置であると思っている。親からしてもらった嬉しいことは子供にしてあげたいと思う。
私達の人生の一つの意味は、様々な記憶装置に「良い記憶」を残すことなのかもしれない。































