© *tohru All Rights Reserved.

« 2004年10月 | メイン | 2004年12月 »

秋晴れ

 自宅から会社に向かう車の中で、本当に綺麗な秋晴れの景色を感じた。まだ日はそれほど高くはなく、斜めから深く太陽光が差し込む。越後川内山塊の山々に陰影がクッキリ明確につき存在感を増していた。

 これから新潟には厳しい冬が訪れる。新潟中越地震の被災地にも少しでも長くこの暖かい太陽の光が届けばいいなと思う。

続きを読む 秋晴れ

余震

 昨日また余震があった。三条でも11時16分に震度4、17分、27分、32分に震度3、43分、49分に震度2と6回の揺れを記録した。
 僕はちょうど三条市産業振興祈願で地元の産業界の方々と金山神社にいた。灯籠がユラユラ揺れるくらいの激しい揺れだった。川口町のボランティアセンターのアウトドア隊ブースにまず電話をかけ、会社や自宅に電話をしたがいずれも無事でほっとした。

続きを読む 余震

新潟中越地震(4) アウトドア隊


 11月3日の祝日、また川口町に行ってきた。
 朝7時スノーピーク集合で、ユーザー7人パタゴニア日本支社2人スノーピーク7人の計16名で今回のアウトドア隊は活動を行った。早速、全国のユーザーの皆様から寄せられた沢山のテント寝袋マット、そしてアウトドア業界のメーカー各位から送っていただいた靴下や下着や物資をトラックに積み込み、出発。
 川口町災害ボランティアセンターでボランティア受付をして3班に分かれて活動開始。現地のニーズ調査、避難所への訪問そして民家への訪問。各地で直接テントを実際に設営して被災者のみなさんが寝ることが出来るベッドルームを提供することができ、併せて各メーカーさんからの物資も手渡しでお渡しすることができた。被災者のみなさんと言葉を交わし、お話を聞き、アウトドア隊のメンバーも役に立って良かったと実感した。
 活動終了後、またも不足していたボランティアスタッフ用の寝場所の提供のためユーザーの皆様から送っていただいたテント寝袋マットを設営また小川キャンパルさんのテントとスノーピークのテントも設営。60人分の寝場所を増やすことができた。ボランティアのみなさんが復旧の大きな力になるだけに彼らの寝場所の確保は間接的だが大きな活動の一つである。 

続きを読む 新潟中越地震(4) アウトドア隊

新潟県中越大震災(3) 川口

 川口町の現状について

 新聞やテレビの報道でみなさんもご存じの川口町に昨日11月1日スノーピークのスタッフと支援に入った。災害発生時から暫くの間、交通網や情報網が全く分断されていたこともあって川口町の復旧は他の地域よりも4〜5日遅れている感じがした。水道やガスなどのライフラインの復旧の見込みも立っていない状態である。町のあちらこちらで建物が崩壊しており、町事態が全く停止している感覚に襲われる。
 また復旧には多数のボランティアの手が必要であるが、建物の被害も震度7を受けていて酷い状態でありボランティアの宿泊場所がない。最優先でボランティアの宿泊場所としてのテントを30日に引き続いて昨日も設営。ようやく100名程度のボランティアが宿泊できる場所が確保できた。

 明日3日には県内のスノーピークユーザーボランティアと一緒に現地に再び入って60カ所ある避難所のニーズ調査およびエコノミー症候群による死亡回避のためのテントの設営、併せてボランティアが宿泊できる場所を増やすための場所確保とテントの設営を行いたい。

続きを読む 新潟県中越大震災(3) 川口

新潟中越大震災(2) 小千谷

 11月1日、2日と小千谷市に行ってきた。
 小千谷市災害ボランティアセンターの本部スタッフに三条の水害時のボランティア仲間が数人行っているので陣中見舞いに行く。今日は1,000人のボランティアが集結。ボラセンの運営はあまりうまく行っていない様子だった。調査済みでかつ安全だと思われる家屋の片づけが現在のボランティア主な仕事であるが今のところニーズが少なくボランティアが余っている状態だった。
 また、市の対策本部は相変わらずの役所ぶりを発揮して被災者の方々の立場で指揮命令が出来ていない様子。物資の一部がボラセンの管理下に移管されたことが唯一の救いである。

 小千谷高校で活動している友人の草島進一氏がやっている中越元気村に昨日に引き続き物資を提供に行く。本部用のテーブル&チェアと被災者のみなさんにコーヒーを提供するミニカフェ用のテーブル&チェアを追加で持ち込む。小千谷高校には塩谷部落の方々を中心に約200名が避難している。印象的だったことが二つあった。一つはこの避難所の方々は自発的に炊き出しを当番でやっていらっしゃるのだが使い捨ての容器を洗って使い捨てにせずに使用なさっていたこと。二つめは体育館の中に集会用のテントを張ってその下で生活されていること。これは、上から構造物や何かが落ちてくることの恐怖を払拭するためである。被災者の方々の心中を垣間見て胸がギュッと締め付けられた。
 草島氏、シェルパ斉藤氏と3日に川口町で再会する約束をして別れた。

続きを読む 新潟中越大震災(2) 小千谷