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それでもやっぱりやってはいけないこと

 それでもやっぱり世の中には、どんな理由があったとしても、いかなる状況だったとしても、言ってはいけないこと、やってはいけないことってのがあると思う。そして、それがリーダーなら尚更のことだ。
 言ってはいけないこと(自分が代表している組織の悪口を言って辞任)を言い、その挙げ句にやってはいけないこと(辞任の撤回)をやるリーダーに驚いた。
 国がきちんと治まるためにはどの時代でも政治のリーダーがきちんとすることが必要だ。とても残念で、とても考えさせられる。

マネジメントフォーラム2007 in 新潟

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 全国のNECユーザー企業の交流組織である「全NEC C&Cシステムユーザー会」のマネジメントフォーラム2007 in 新潟が昨日6月15日、新潟市の朱鷺メッセで開催された。

 僕は、早稲田大学商学学術院教授でボストンコンサルティンググループ・シニアヴァイスプレジデントの内田和成先生と『真の企業価値創造とは何か?』というパネルディスカッションをやらせていただいた。コーディネーターは渡辺千雅氏がつとめてくださった。内容はステークホルダーマネジメントを中心に真の企業価値を考えるというもの。
 

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記憶装置

 この前のコラムで次回は時間軸の話と書いたのにお祭りの話が先になってしまった。(笑)お祭りも関係あるのだが、今度は真面目に時間軸のお話である。
 「地球」、「まち」、「いえ」そして「会社」などなど。これらのものは、みんな、記憶装置のようなものだと感じている。

 *tohruの住む三条市は、金属加工産業の集積地として全国に知られている。このまちの中央には五十嵐川という暴れ川が流れ、毎年のように氾濫して水害で私達の先人達の生活をおびやかしてきた。そして、私達の先人達は飢饉という地獄の底から産業の火を熾した。「米が氾濫で採れないなら、和釘でも作ろう」と江戸から鍛冶を招いてまちに根付かせた。「自然の地理的要件の中で川は氾濫する。それは受け入れよう。しかし我々はメシを食べてここで生きていかねばならない。工業の火を灯そう。」というポジティブな底力があったのだろう。

 *tohruは、そういう根元的な活力ある三条のまちで野遊び道具を創っていることに誇りを持っている。もちろん、その当時の先人達には会ったことはない。しかし、「まち」という「記憶し伝承する器」を通して私の精神のなかに記憶されている。現状を素直に受け入れ、その中で逞しく生きていくちから。現在の状況よりも何百倍も厳しい状況でも私達の先人達は生き、そして産業都市を残した。
 「いえ」や「会社」。これもやはり記憶し伝承する器=記憶装置であると思っている。親からしてもらった嬉しいことは子供にしてあげたいと思う。
 私達の人生の一つの意味は、様々な記憶装置に「良い記憶」を残すことなのかもしれない。

俯瞰(ふかん)から見てみる

 日々、無意識に流されて行っている部分が人間であれば誰しもあるに違いない。そして、その無意識が引き起こす問題は多い。そんな人生の中で、時々は俯瞰(ふかん)から自分や物事を見つめてみることも必要かもしれない、と思っている。
 自分の場合、何かに行き詰まった時には、イメージの中で「現在の自分のいる場所や状況」を上空から見てみることにしている。3m上空の時もあれば10mの時もあるし、かなり辛い場合には宇宙から(笑)見なければならない時もある。

 これは、仕事でカタログの制作を長い間やっている時に、様々な説明カットを撮影しなければならない写真のアングルを考えるうちに、自然に身についた癖のようなものである。
 状況にはまってしまっている自分には解決できない問題を、客観的に外からや上から見てみると、意外にも自分に問題がある場合が多いことに気づかされる。もしくは、自分の方が主体的に行動することで問題を解決できる場合が多いことに気づかされる。

 もう一つの見方は、時間軸から見ること。これは、次回書いてみます。  

日本という国家

 ここのところ連日のように自民党の総裁選のニュースが報道されている。どの候補も日本という国家をマネジメントする、という視点から見て不適当であると言わなくてはならないだろう。
 日本人は、そういう教育をされないからか、国家という存在についてあまり真剣に考えていないような気がする。
 僕も難しい国家論などをたたかわす趣味はないが、自分の思考軸や判断軸を持つために原理原則や本質的な部分だけは押さえておこうと考えている。
 国家が税金を払っている僕たちにすべき最大の責務、国家の存在理由は「国民の命と財産を守ること」であると考える。今の日本は、日本人の命を守ったり財産を守ったりする能力が他の先進国に比べて著しく弱いと言わなくてならないだろう。
 日本のリーダーは、そういう当たり前の国家をつくれる人物になってほしいし、僕たち国民もその責任があることを自覚してこの国に住みたいものだ。