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緊急告知:キャンプ場無料開放

私達スノーピークは、3.11以降いち早く災害ボランティアの活動を開始しました。その第三弾としてキャンプフィールドを持つアウトドアメーカーとして最大の貢献である節電促進のためのキャンプフィールド無料開放を実行致します。
スノーピークの提案する節電は、ご家族やご友人と自然の中で素敵な時間を過ごし絆を深めることが出来る素敵な節電です。(^^)

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フィールドライフ春号 いま、私達にできること。


フィールドライフ春号。特集テーマは、「いま、私達にできること」。東日本大震災をリカバリーするアウトドア業界のみんなの力!
予定していた記事の内容を緊急時対応で大きく変えての編集になったそうだ。

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SnowPeak アウトドア隊第三陣

土曜日帰社して本日出社して株主総会を開催しバタバタしている最中にSnowPeak アウトドア隊第三陣が仙台市は若林区に向かって発ちました。見送りもできなかった。
そういえば今日の朝、テレビで若林区体育館に被災者の皆さんが移動しているニュースを放映していた。一刻も早くマットをお届けする必要がある。上原陽一&山本純司コンビはトンボ帰りで仙台行きである。

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SnowPeak アウトドア隊第二陣


SnowPeak アウトドア隊第二陣は、2011年3月26日午前8時にスノーピーク本社を出発。北陸道から磐越道に入り新潟福島県境では写真の通り真冬のような降雪に見舞われながら一路宮城県は仙台市宮城野区にある避難所を目指しました。今回の隊員は、上原陽一、山本純司、金井淳と僕の4人。




最初に立ち寄ったのはこの地域の避難所となっている仙台市立の小学校。マットを数十人分お届けいたしました。この避難所で頑張っていらっしゃったのは新潟市の職員の皆さん。「三条のスノーピークです。お疲れ様です。」「ををっ。(^^)」新潟県民は今回の災害復興支援に官民問わず、出て行ったり受け入れたり、大きな力になっていると感じました。被災経験地は被災地や被災者のお気持ちが身に染みて解っているからでしょうか。
前回は本社で後方支援をしっかりやってくれた管理本部システム課マネージャーの金井淳君。現場に行きたかった彼の気持ちがキビキビとした動きになっていました。
避難所の典型的な睡眠システムは写真のようにダンボール敷き布団+毛布を掛け布団にというスタイル。堅い床で背中が痛く、毛布のみではとても寒い。何とかもっと多くのマットとシュラフを集めてお役に立ちたい。しかしマットが底をついてきました。


最初の目的地の任務を完了し、第二目的地に向かいます。生産部倉庫課マネージャー上原陽一、開発部シニアマネージャー山本純司の二人でスノーピーク号の運転オペレーションを担当。




第二目的地である仙台市高砂市民センターに着。ここは、新学期前に小中学校や高校の避難所から沢山の避難者の皆様が移動してくる予定の引受け施設の一つ。マットを300本シュラフを200本ほどお届けしました。200人ほどの新規避難者の敷き掛け布団、そして既存の避難者のみなさん100人分の敷き布団で安眠が担保されました。沢山のみなさんのお気持ちで被災者のみなさんが眠れるようになりました。ご支援ありがとうございます。
こちらで頑張っていらっしゃったのは静岡市の職員のみなさん。全国から支援のきずなが広がっています。

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SnowPeak アウトドア隊第一陣(2)

スノーピークアウトドア隊第一陣は3月19日午後14:00、宮城県石巻市にある石巻市役所 北上総合支所にっこりサンパークにある三陸大津波災害対策本部北上総合支所に皆様からお送りいただいたシュラフとマット、そして直接スノーピークにお申し出があった企業・団体の中で被災地に必要であると判断した物資を無事にお届けすることができた。

三陸大津波災害対策本部北上総合支所という名前には、東北地方太平洋沖地震という名称が使用されておらず、そのこと自体がこの地域の津波の被害の大きさを物語っていると感じた。ここは2005年の市町村合併までは、宮城県桃生郡北上町だった所で、その役場が支所として残っている。

このにっこりサンパークは、北上川の河口から3Kmほどの小高い丘の上に位置しており、周囲が全て津波で壊滅的な被害を受けている地域の中にあって、難を逃れた地形的な優位点がある施設で隣の北上中と共に北上地域の復旧復興の最前線基地。地理的な位置は前述のマップと次の写真で理解していただけると思う。

このように河口部に位置する高台の上。
この三陸大津波災害対策本部北上総合支所は12箇所の避難所にいらっしゃる1,600人の避難者の方々を直接ケアしていて、毎朝12箇所の避難所のリーダーがここに集合してミーティングを行ったり、必要な物資をここから持って帰るという組織だった活動が行われていることを確認できた。つまり、20日の朝には12箇所の避難所のリーダーがここに来て、マットやシュラフが各避難所に運び込まれて実際に使用されることが確認できたので、ここに全ての物資をお渡しすることに決めた。自分達で避難所まで行きたい気持ちも強かったが、佐藤支所長さんから「避難所でも必要なマットやシュラフなので必ず明日には届く。」「直接行ってもらった場合には不公平が生じる可能性がある。明日の朝礼時に各リーダーで公平に分配してもらうから。」という言葉で納得。

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SnowPeak アウトドア隊第一陣(1)


スノーピークアウトドア隊第一陣は、3月18日の午後にスノーピークを出発、19日の14:00過ぎに宮城県石巻市北上総合支所にっこりサンパークにある三陸大津波災害対策本部北上総合支所に皆様からお送りいただいたシュラフとマット、直接スノーピークにお申し出があった企業・団体の中で被災地に必要であると判断した物資、そして皆様のお気持ちを無事にお届けしてまいりました。

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あれから丸4年 7.13水害


(写真は、2008年01月06日撮影の五十嵐川 季節外れの写真しかなくて申し訳ありません)

私達のまち三条市を襲った大きな災害、2004年の7.13水害。
あれから4年が経過した。

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くりこま耕英復興プロジェクト

【イチゴ救出作戦Xディーは7月5日(土)】

くりこま高原自然学校・代表の佐々木豊志氏が中心になって「くりこま耕英復興プロジェクト」が動き出した。

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岩手・宮城内陸地震に関する情報

岩手・宮城内陸地震に関する情報をお知らせいたします。

情報の提供元は、全国社会福祉協議会 地域福祉部/全国ボランティア活動振興センターです。

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山古志のこと

昨年末の12月25日、ご縁があって長岡市にある長島忠美 衆議院議員(前山古志村長)の事務所を訪ねました。長島先生と財団法人山の暮らし再生機構の地域連携ディレクター五十嵐豊氏(マリの飼い主 SnowPeakユーザーです)とお会いして、山古志の現状と復興についてお話しをさせていただきました。私達SnowPeakがお役に立てることがあれば協力していきたいと思っています。

2004年という年に感じたこと

 2004年は、新潟県の中越地方にある三条市在住そしてビジネスの拠点も三条市である僕にとって、様々なことを感じずにはいられない年だった。いや、否応なし感じさせられた年だったという方が正確だ。

 7月13日に三条市を7.13水害が襲う。北海道で行われたSnowPeakWay2004inドロームからの帰路で被災を知り翌日に三条までかなり迂回して戻った。7月16日に三条市災害ボランティアセンターができてから8月8日に閉鎖されるまでの23日間ボランティアセンターで働いた。そして復旧から復興へと気持ちを切り替えるためのイベント三条復興祈願熾盛祭(しせいさい)をようやく三条の若い経営者の仲間達と10月17日に開催。一段落着いたかに思えた。

 その一週間後の10月23日に、またも中越地方は大災害である新潟中越地震に見まわれる。十日町、小千谷に10月26日に入って現地調査。29日には僕は十日町にスノーピークスタッフは小千谷に炊き出しに赴く。そして全国からテントや寝袋を集めて川口町災害ボランティアセンターアウトドア隊として活動。最も被害が大きく復旧が遅れていた町の一つである川口町の被災者の皆様のために活動。

 一年で、大きな災害に二度も見舞われるということは稀なことだろう。そんな中で自分や自分たちは自分や自分たちにできて被災者のみなさんのためになると現地で感じ取ったことを素直に行動や活動にできてよかったと感じている。そして僕たちと同じように全国から本当に沢山のボランティアが駆けつけてくれた。何の縁もゆかりもない人たちのために借金までして来てくれた学生ボランティアもいた。阪神淡路大震災前には考えられなかったことだ。
 日本は豊かな反面コミュニティが普段は崩壊している地域が多い。三条も被災後に被災をきっかけにコミュニティが形成された地域も多かった。人と人が助け合って生きていく。人と人が力を合わせる。ということの素晴らしさを感じた。

 地元での活動で一番感じたことは、非常時には平和呆けした行政組織などあまり役に立たないということ。普段から心が通い合っている仲間、人と人のつながり、人の気持ちにしかできないことが如何に多いかということ。この二点を強く感じた。
 私達は日本という国のそれぞれの地域に住んでいる。しかし、非常時には自分のことを自分で解決すべく行動できる心の準備、3日くらいは自分たちで生き延びられるような物資や装備の準備が必要である。

余震

 昨日また余震があった。三条でも11時16分に震度4、17分、27分、32分に震度3、43分、49分に震度2と6回の揺れを記録した。
 僕はちょうど三条市産業振興祈願で地元の産業界の方々と金山神社にいた。灯籠がユラユラ揺れるくらいの激しい揺れだった。川口町のボランティアセンターのアウトドア隊ブースにまず電話をかけ、会社や自宅に電話をしたがいずれも無事でほっとした。

新潟中越地震(4) アウトドア隊


 11月3日の祝日、また川口町に行ってきた。
 朝7時スノーピーク集合で、ユーザー7人パタゴニア日本支社2人スノーピーク7人の計16名で今回のアウトドア隊は活動を行った。早速、全国のユーザーの皆様から寄せられた沢山のテント寝袋マット、そしてアウトドア業界のメーカー各位から送っていただいた靴下や下着や物資をトラックに積み込み、出発。
 川口町災害ボランティアセンターでボランティア受付をして3班に分かれて活動開始。現地のニーズ調査、避難所への訪問そして民家への訪問。各地で直接テントを実際に設営して被災者のみなさんが寝ることが出来るベッドルームを提供することができ、併せて各メーカーさんからの物資も手渡しでお渡しすることができた。被災者のみなさんと言葉を交わし、お話を聞き、アウトドア隊のメンバーも役に立って良かったと実感した。
 活動終了後、またも不足していたボランティアスタッフ用の寝場所の提供のためユーザーの皆様から送っていただいたテント寝袋マットを設営また小川キャンパルさんのテントとスノーピークのテントも設営。60人分の寝場所を増やすことができた。ボランティアのみなさんが復旧の大きな力になるだけに彼らの寝場所の確保は間接的だが大きな活動の一つである。 

新潟県中越大震災(3) 川口

 川口町の現状について

 新聞やテレビの報道でみなさんもご存じの川口町に昨日11月1日スノーピークのスタッフと支援に入った。災害発生時から暫くの間、交通網や情報網が全く分断されていたこともあって川口町の復旧は他の地域よりも4〜5日遅れている感じがした。水道やガスなどのライフラインの復旧の見込みも立っていない状態である。町のあちらこちらで建物が崩壊しており、町事態が全く停止している感覚に襲われる。
 また復旧には多数のボランティアの手が必要であるが、建物の被害も震度7を受けていて酷い状態でありボランティアの宿泊場所がない。最優先でボランティアの宿泊場所としてのテントを30日に引き続いて昨日も設営。ようやく100名程度のボランティアが宿泊できる場所が確保できた。

 明日3日には県内のスノーピークユーザーボランティアと一緒に現地に再び入って60カ所ある避難所のニーズ調査およびエコノミー症候群による死亡回避のためのテントの設営、併せてボランティアが宿泊できる場所を増やすための場所確保とテントの設営を行いたい。

新潟中越大震災(2) 小千谷

 11月1日、2日と小千谷市に行ってきた。
 小千谷市災害ボランティアセンターの本部スタッフに三条の水害時のボランティア仲間が数人行っているので陣中見舞いに行く。今日は1,000人のボランティアが集結。ボラセンの運営はあまりうまく行っていない様子だった。調査済みでかつ安全だと思われる家屋の片づけが現在のボランティア主な仕事であるが今のところニーズが少なくボランティアが余っている状態だった。
 また、市の対策本部は相変わらずの役所ぶりを発揮して被災者の方々の立場で指揮命令が出来ていない様子。物資の一部がボラセンの管理下に移管されたことが唯一の救いである。

 小千谷高校で活動している友人の草島進一氏がやっている中越元気村に昨日に引き続き物資を提供に行く。本部用のテーブル&チェアと被災者のみなさんにコーヒーを提供するミニカフェ用のテーブル&チェアを追加で持ち込む。小千谷高校には塩谷部落の方々を中心に約200名が避難している。印象的だったことが二つあった。一つはこの避難所の方々は自発的に炊き出しを当番でやっていらっしゃるのだが使い捨ての容器を洗って使い捨てにせずに使用なさっていたこと。二つめは体育館の中に集会用のテントを張ってその下で生活されていること。これは、上から構造物や何かが落ちてくることの恐怖を払拭するためである。被災者の方々の心中を垣間見て胸がギュッと締め付けられた。
 草島氏、シェルパ斉藤氏と3日に川口町で再会する約束をして別れた。

新潟県中越大震災(1)

 昨日、新潟中越地方地震で被害が大きい小千谷市と十日町市の現地調査に行ってきた。
 思っていた以上に被害は大きくライフラインの復旧も数日かかりそうな状況だった。反面、心配していた食料や水、毛布や必要な物資などは大量に全国から送ってきてもらって十分に足りている状況であることを小千谷市災害対策本部(市)の物資責任者の久保田氏と面談してお聞きした。ただ、避難所には十分に届いていない状況であるために久保田氏には行政が管理するよりもボランティアセンターの管理下に物資を委ねた方が適切に早く被災者の方々に物資を届けられることを三条の災害時の例を挙げてアドバイスした。この件については僕と一緒に三条市災害ボランティアセンターで総務の任についていた三条市社会福祉協議会の鍋島氏が小千谷災害ボランティアセンターに今日の午後赴くので先刻彼にブリーフィングを行った。今後、僕が行く必要があれば呼んでくれと言って彼を送り出した。

 スノーピークでは、スタッフ達が自主的に炊き出しのボランティアを計画中。僕は、業界やユーザーの皆さんにもお声掛けして必要物資を被災者に的確にお届けする仕組みを考えている。
 7.13水害の被災地である三条でも僕が会長を務める三条商工会議所青年部が今週末に十日町に炊き出しに行くことを決めている。
 水害の被災からこんなに短期間に他の地域に援助に行くことになるとは想像できなかったことである。一日も早い被災地の復旧と被災者の皆様に安寧な日が来ることを願わずにいられない。

同窓会のような

 先週の土曜日に三条市災害ボランティアセンターがあったところでボラセンの打ち上げと新潟災害ボランティアネットワークの立ち上げの会議があって出席。

 三条市はまだまだ復興とまではいっていないが復旧はお盆明けにはボランティアの手を離れて住宅産業のプロフェッショナルの手に移っている。
 そんな中で総数24,000人ものボランティアを受け入れ23日間稼働した三条市災害ボランティアセンターの本部スタッフをやっていたメンバーが新潟県内そして東京や神奈川から60人も集まった。
 短いけれど昇華された緊密な時間の中で、被災者のみなさんのためにという同じ目標を持って考え行動した仲間達。毎日毎日トラブルが連続する同じ戦場で共に戦った戦友のような固い心の絆。懐かしい顔を見つけてお互いの顔が綻び自然に握手や抱擁になった。
 人間が集まって一人ではできないことを力を合わせて実現することは素晴らしいことだと思う。